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浦和地方裁判所熊谷支部 昭和32年(ヨ)29号 判決

申請人 高村猛

被申請人 関東醸造株式会社

主文

一、被申請人会社より申請人に対する昭和三十二年三月一日付をもつてなした転勤命令並びに、同年四月五日付をもつてなした解雇の意思表示の効力を停止する。

一、被申請人会社は申請人を同会社の従業員として待遇しなければならない。

一、訴訟費用は被申請人会社の負担とする。

(注、無保証)

事実

申請人代理人は「被申請人会社が昭和三十二年四月五日付を以て申請人に対してなした解雇の意思表示の効力を停止する。被申請人会社が同年三月一日付をもつて申請人に対してなした転勤命令の意思表示の効力を停止する。被申請人会社は申請人に対し社宅の明渡・減俸・出勤停止等の処置をとり、直接、間接にその就業を妨げるような一切の行為をしてはならない。訴訟費用は被申請人の負担とする。」との判決を求め申請の理由として、

(一)  申請人は昭和三十一年十一月被申請人会社の生産業務を処理している被申請人会社深谷工場の従業員として就職し、所定の業務に当つていたが、申請人が中心となり同工場の他の従業員と共に昭和三十二年二月二十四日関東醸造株式会社労働組合(以下単に組合と略称する。)を結成し、同組合の書記長となつた。よつて申請人を含む組合三役(正副両委員長、書記長)はその翌二十五日被申請人会社取締役兼工場長柏倉俊彌に対し口頭で組合結成の旨を通告した。ところが被申請人会社は右工場長をして同年三月二日及び五日の二回にわたり同月一日付の申請人に対する東京の本社えの転勤命令を口頭で通告せしめ、その転勤を勧告し、又被申請人会社の木村管理課長も同月十日同旨の勧告をして来た。そこで申請人は右業務命令と称する転勤命令の撤回を被申請人会社に要求した結果、右転勤命令は一時立消の如き状態になつたが、組合と被申請人会社との間の労働協約締結の為の団体交渉が決裂し、組合が残業拒否の実力行使にはいつた三日目である同年四月一日に再び被申請人会社は内容証明郵便をもつて本社転勤を勧告し、同月四日組合と被申請人会社との団体交渉の為の話合の席上申請人より組合活動が軌道に乗るまで転勤命令を撤回されたいと申込んだが、被申請人はこれを拒否し、申請人に対し同月六日同月五日付内容証明郵便をもつて申請人の行為は業務命令に違反するとの理由で解雇の通告をなすと共に工場内えの立入りの禁止、社宅の明渡等の通告をなした。申請人は、かかる通告は納得し得ないものであつたからその旨同日工場長に口頭で申入れ、引続き出勤したところ、被申請人会社橋本会計課長は申請人の執務状態等を写真にとり、工場長は私物を即時工場内より持出す様要求し、申請人の就業を妨げる行為に出た。

(二)  然し前記申請人に対する本社えの転勤命令は次の理由により無効であり、従つて右転勤命令を拒否したことを理由とする申請人に対する解雇通告も無効である。即ち

(1)  被申請人会社は申請人が組合結成の中心人物であることを察知し、組合より組合結成の通告を受けてからわずか四、五日しか経過しない時において、しかも何らの事前内示もなく突然本社に転勤を命じたものであり、右転勤命令後も申請人が工場長に対し、本社での仕事の内容を尋ねても説明をなし得なかつた事実。

(2)  申請人の叔父である被申請人会社監査役高村政雄をして申請人を組合より脱退せしめる様策動せしめ、その結果、右高村政雄をして申請人の母である高村かおるに手紙を送り母の都合を理由に申請人をその郷里福岡に呼びもどす様要求せしめ、又高村政雄自身申請人に手紙で組合より手を引く様勧告した事実。

(3)  工場長が申請人に「君が二、三年いた上で組合が出来たなら別であるが、わずか二、三ケ月しかたたないのに組合が出来て、君が委員長となつたのでは君が組合を作つたと思われ不利益ではないか。」と申し向けた事実。

等からすれば申請人を組合のない本社に転勤せしめ組合活動の阻止ないし組合の弱体化を目的として不利益な取扱をしたものであり、不当労働行為に当るから右転勤命令並びにその拒否を理由とする解雇通告もその効力を生じないものと言わねばならない。

仮に前記転勤命令が不当労働行為にならないとしても前記の如き事実からすれば右解雇は不当労働行為である。

よつて現在の危難を避ける必要上、申請の趣旨記載の仮処分を求めるため本申請に及ぶと述べ、

被申請人代理人の主張に対し(一)に記載の事実は認める。(二)に記載の事実は不知、(三)に記載の事実中、申請人が被申請人会社の監査役高村政雄の甥で、国学院大学国文科を卒業し、右高村政雄の紹介で被申請人会社に採用され、昭和三十一年十一月二十二日採用通知を受け、深谷工場勤務を命ぜられ、同月二十五日右工場に着任した事実、工場着任後被申請人主張の如き日程で(但し工場関係事務の内容の点を除く)工場において就務したものであり、その際工場見習勤務の辞令又は人事命令のなかつた事実は認めるが、その余の事実は不知。(四)に記載の事実中本社転勤を拒否した事実は認めるが、その余の事実は否認すると述べた。(疎明省略)

被申請人代理人は、「申請人の本件申請を棄却する。訴訟費用は申請人の負担とする」との判決を求め、答弁として、(一)に記載の事実中申請人の採用が深谷工場の従業員としてなされたとの事実、及び申請人及び組合の転勤命令撤回の要求のために被申請人会社が転勤命令を立消の如き状態にいたらせたが団体交渉決裂の結果組合が実力行使にはいつて三日目である同年四月一日再び転勤命令を勧告したとの事実は否認する。組合結成にいたつた経過は不知、その余の事実は全部認める。(二)に記載の事実は否認すると述べ、

主張として、

(一) 組合と被申請人会社の関係につき。被申請人会社従業員は現在本社十名、工場三十名であり、右工場における従業員二十六名が組合員であり、本社においては組合は結成されていない。被申請人会社は組合と組合活動の為に被申請人会社の設備を利用すること、及び団体交渉についての手続に関する協定書を作成したが労働協約は締結されていない。而して組合員中年間を通じ雇傭されているのは十名のみで、他は製造開始期にはいり製造量の増加に伴い雇入れる臨時工であり、製造中止期間においては解雇される運命にあり、又翌年必ず採用されるとは限らぬ性格のもので近隣の農家から農閑期に便宜雇入れた者である。

(二) 被申請人会社の沿革及び運用の実態につき。被申請人会社は昭和二十三年支那酒を生産する目的等のため資本金三百万円をもつて設立された会社であるが、製造、販売共意の如くならず、昭和三十年九月の決算期においては、当時の年間売上高約二千八百万円に比し、資本金三千万円(設立以来十倍に増資された。)及び借入金約二千万円合計約五千万円が損失額となつたために昭和三十年十二月九日株式会社常盤商会にその経営を一任することとなり、当時の代表取締役であつた被申請人会社の債権者である王子醗酵株式会社の代表取締役で、申請人の叔父である高村政雄は被申請人会社の監査役にかわり、前記常盤商会代表取締役萩原勇次が被申請人会社の代表取締役に就任した。そうしてその再建策として、東京に本社を移転し、主として販売面の改善強化につとめ、東京在勤の事務担当者四名、販売員二名に、工場の事務担当者四名中二名を東京に転勤せしめ、さらに一名のアルバイト学生を傭い、この九名中女子一名を事務担当者として残し、八名を販売員として販売面を強化し、工場関係の事務員は専門学校卒業の男子一名、女子商業出身者一名を残すのみとした結果、昭和三十一年九月の決算期には前年に比し六十八%の売上額の増加を示し、更に適当な宣伝活動が行われれば、損失額五千万円の解消も数年の内に可能との見込ができたものである。

(三) 申請人採用の経緯につき。前記の様な時期に被申請人会社は前記高村政雄より同人の甥である申請人を採用されたい旨の申出があつた。被申請人会社は種々検討の結果、本社での事務の仕事は消費の調査、企画宣伝等際限のない仕事の量があること。適当な宣伝活動により販売量を増加し得るにもかかわらず、この部門を担当するに適した人物がないこと。申請人は国学院大学国文科出身で企画宣伝等に適任であること。申請人が前記高村政雄の甥であることは親会社である王子製紙株式会社方面えの連絡も円滑化が予想されること等を理由に将来の幹部社員として採用することとなり、昭和三十一年十一月二十二日見習社員として採用する旨を通知し、工場において約三ケ月の予定で支那酒の製造工程及び工場事務の見習をさせることとなり、同月二十五日工場看任の翌日から同年十二月二日迄麹製造作業、同月三日から十六日迄満洲式焼酎製造作業、同月十七日から二十一日迄同製品精製作業を現場で工員と同様に就労せしめ、同月二十二日以降は試験室に勤務せしめ製品試験等に従事せしめる傍ら工場全般の各種業務を随時担当せしめた。又申請人は工場勤務が本務でなく単なる見習であつたから工場の見習勤務の命令も辞令ないしは人事命令を出すことなく口頭でなされた。

(四) 申請人を解雇した理由につき。被申請人会社は昭和三十二年二月末迄に申請人の工場における見習が終了することが明らかとなつたので同月中旬頃より同年三月一日付をもつて申請人を本社に転勤せしむべく準備し、又申請人の学歴に鑑み申請人が本社においてその能力を発揮すれば企画宣伝の業務は必ず飛躍的発展をするものと信じていた。ところが三月一日付本社えの転勤命令を同月二日工場長より通告したにもかかわらず、申請人は正当なる理由なくしてこれを拒否し、被申請人会社が同月五日再び工場長をして、さらに同月十日電話にて右転勤を勧告したが申請人はいずれもこれを拒否した。被申請人会社は申請人採用の理由が前記の如きものであつたので重ねて同年四月一日内容証明郵便をもつて本社えの転勤を申請人に勧告したところ、申請人は同月四日東京の被申請人会社の本社事務所において、被申請人会社の代表及び組合代表並びに上部団体の役員と団体交渉の席上、転勤の業務命令を拒否し故意に会社の秩序をみだす行為をした。よつて被申請人会社は最後的に右転勤命令を勧告しこれに応じない時は解雇する旨を申し渡したが、申請人はこれをも拒否したので己むなく同年四月五日付内容証明郵便をもつて解雇する旨の意思を通告したものである。したがつて本件解雇は正当なものであると述べた。(疎明省略)

理由

申請人が被申請人会社の監査役高村政雄の甥であり、国学院大学国文科を卒業し右高村政雄の紹介で昭和三十一年十一月二十二日被申請人会社に採用され深谷工場に勤務を命ぜられ、同月二十五日右工場に着任、同月二十六日より同年十二月二日まで麹製造作業、同月三日より同月十六日まで満洲式焼酎製造作業、同月十七日から二十一日までは右同製品精製作業を各職場において工員と同様に働き、同月二十二日以降は試験室において工場事務に従事していた事実、工場見習勤務の辞令等のなかつた事実、被申請人会社が工場長柏倉俊彌をして口頭で申請人に対し昭和三十二年三月一日付東京本社えの転勤命令を、同月二日通告せしめ、さらに同月五日右工場長が右転勤を勧告し、さらに同月十日本社より木村管理課長が電話で同様転勤を勧告したが申請人はいずれもこれを拒否した事実、被申請人会社は同年四月一日付の内容証明郵便をもつて申請人に対し前記転勤を勧告したが同月四日被申請人会社本社事務所において組合代表上部団体役員と被申請人会社代表との団体交渉の席上申請人が転勤を拒否する旨の発言をした事実、同月五日工場長より申請人に対し「本社えの転勤に応ずる様、応じない時は解雇する」旨の勧告があつた事実及び会社が同月五日付内容証明郵便をもつて申請人に対し解雇の通告をなし、右は同月六日申請人に到着したことは当事者間に争がない。よつて右転勤命令並びに解雇の意思表示の効力の有無について検討する。

(1)  証人藤本忠(被申請人会社取締役)の供述によれば、前記の如く申請人は叔父である被申請人会社の前代表取締役であり、現監査役の高村政雄の推はんによつたため、試験は勿論、面接すらなさずに採用を決定した事実、及び将来の職務内容、工場における勤務期間を予め申請人に知らしめなかつた事実が明らかであること。

(2)  深谷工場の従業員は、労働組合法第二条但書に該当する者四名及び、臨時工十六名をも含め計三十名にすぎないが、申請人着任約三ケ月後である昭和三十二年二月二十四日右四名を除く従業員をもつて初めて労働組合が結成され、しかも申請人が同組合の書記長たる重要な地位についたこと。(以上は当時者間に争がない。)そして証人小此木文美、高橋堅治並びに申請人本人の供述を綜合すれば、申請人は着任後組合結成の必要性につき従業員と話し合つたところ、従業員においても従前より組合を作る意思は持つていながら、その結成につき中心となるべき人物、或いは知識等を有する者がなかつたため無組織のままに放置されていたものであることが判明したので、申請人の働らきかけと県労評の指導により急速に組合結成のはこびとなつたものであることが明らかであること。

(3)  被申請人会社は同社の取締役であり、工場長である柏倉俊彌が組合結成の通告を受けてから四日目である翌三月一日付で何ら事前の内示もなく申請人に対し東京本社(労働組合なし)えの転勤命令を発したこと。(以上当事者間に争がない。)そうして前掲証人小此木文美並びに証人森絹代、黒田辰二、高橋堅治の各供述を綜合すれば、組合としては申請人の転勤により重大な支障を招く結果となることが明らかであること。

(4)  組合結成後極めて日も浅く、未だ労働協約を結ぶ段階にも達せず、これを結ぶための活動すら外部団体に頼らざるを得ない弱小組合であることが前掲の各供述により明らかであること。

(5)  申請人本人の供述、この供述により成立を認められる疎甲第八、九、十号証の各一、二によれば前記工場長は申請人に対し「君が来て二、三年後なら格別、着任間もない時に組合を結成したのだから会社から誤解されても仕方があるまい。なおその役職につくことは将来の不利益を招く」旨申し向けた事実(この点についての証人柏倉俊彌の供述は次に認定の事実に照し、たやすく措信できない。)前記高村政雄は申請人の母かおる宛の手紙(三月七日付)で「申請人を入社させるについても遊んでいたのでは思想的にも悪影響があつてはならぬと思い思い切つて入社させてもらつたのである。その際同君に対し、当分組合運動などには全然関係しないよう告げておいた。いわんや入社二ケ月そこそこで自分が先頭に立つなどは推薦者たる小生としては不安至極に堪えない。同君を福岡に帰るようにすることが一番都合がよい」旨申入れた事実、さらに同人は申請人に対し、三月九日付と四月五日付の手紙で「組合結成並びに貴下の態度等につき報告を受けたが小生の重大なる道義上の責任問題を考慮せねばならぬこととなる。」旨「関東醸造と王子醗酵との関係から小生の責任は重大化して来る。小生の立場を十分考慮してくれ。君自身にとつても愚の骨頂である。」旨申向けた事実が明らかであること。

(6)  被申請人会社において営業上申請人を本社に転勤せしめねばならぬ緊急かつ重要な事情を窺うことができないこと。この点につき証人蟻川浩雄の供述、この供述により成立の認められる疎第四号証、前顕証人柏倉俊彌の供述、この供述によつて成立を認められる同第五号証、証人藤本忠の供述、この供述によつて成立を認められる同第六号証によれば被申請人会社主張の如き事情から申請人を転勤せしむべき必然性を裏付けるかのようである。果してそうであろうか。前顕証人藤本忠並びに申請人本人の供述によれば、申請人は採用にあたり、被申請人会社の取締役である藤本忠から「工場に行つて仕事をしつかり覚えて来い」と告げられたにすぎず、工場における勤務期間、工場勤務終了後における職務の種類、内容については何ら予知せしめられていなかつた事実、工場長もまた申請人の本社転勤の上の職務内容を知らなかつた事実が認められ、この認定事実に大学国文科卒業者なるが故に必ずしも被申請人会社の販売面の為にする様な商業的企画宣伝に適格性を有するとは限らない上に、前記の如く申請人の採用は何らの試験・面接も為さずになされたことからすれば、申請人がかかる特殊な能力を有すべきものとして採用したとも認められない点、及び前段認定の諸事実を合せ考えれば、前記各供述並びに記載中、少くとも申請人の転勤に関する部分はたやすく措信することはできない。他の資料によつては被申請人の主張を窺うに足りない。

そうして以上(1)ないし(2)の各事実をかれこれ綜合すれば、被申請人会社の申請人に対する転勤命令はもつぱら組合の弱体化、ないしは壊滅に向けてなされた組合員たる申請人に対する不利益な取扱と推断するのを相当とする。もちろん東京本社転勤は抽象的に観れば栄転であり、不利益な取扱というべきではないが、労働者は団結権を保障されているのであるから、切り離された個人としてではなく、組織体の一員としての観点からも具体的に利益、不利益を考察すべきであり、しかも本件組合が現段階においては申請人なくしては殆んど存続をあやぶまれる状態にあること前認定の事情からこれを窺うに難くないから、本社転勤であるからとて不利益な取扱と観る妨げとはならない。

なお、被申請人会社は申請人の工場における見習期間は約三ケ月の予定であつた旨主張し、前顕証人柏倉、藤本、蟻川は何れも、これに副う供述をしており、あたかも、申請人が工場着任三ケ月を経過したときに転勤命令が発せられたわけであるが、前認定のとおり申請人において工場における勤務期間を予め告げられなかつたこと及び「しつかり覚えてこい」と告げられたこと、その他前認定の諸事実を併せ参酌すれば右各供述もまた容易に措信し得ない。のみならずたとえ見習期間約三ケ月の予定であつたとしても、転勤命令当時被申請人会社側において申請人を要する緊急且つ重要な業務があつたことの窺え得ないこと前認定のとおりであり、他方組合側においては組合発足直後であり、未だ団体協約さえ結ぶに至らなかつた段階にあり、しかも申請人の転勤により組合の存続さえ危虞される事情にあつたこと前叙のごとくであるから、かような時かような状況における転勤命令は、申請人を含む組合に対し極めて酷に失し、労使間を支配すべき信義則に反するものと解するを相当とする。

以上のとおりであるから転勤命令は結局不当労働行為としてその効力を生じないものというべく、従つてこの転勤命令を拒否したことを前提とする解雇の意思表示もまた不当労働行為としてその効力を生じないものといわねばならない。

そうして被申請人会社が解雇を前提として申請人に対し社宅の明渡等を求めたことは当事者間に争いがない。なお申請人は減俸、出勤停止禁止の処分をも求めているが、減俸のおそれがあることの疎明はないし、解雇の意思表示の効力を停止する限り、たとえ被申請人会社の妨げにより就業の事実がないとしても給料請求権を失わないものと解すべきであるから出勤停止禁止等の処分をする必要はない。

よつて訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 伊藤祐一 長浜勇吉 篠原昭雄)

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